昭和44年10月20日 立教110年教祖大祭



今朝から、朝の御祈念の後に、福岡の秋永先生がここでお届けをさせて頂いております。先生、私が、あなたとお目にかかって、あなたの信心に着いて来るようになって、ちょうど、二十年になりますと。親教会であります、三井教会に、ご神縁を頂いて、ちょうど、立教九十年のお年柄の時のご参拝を、先生のお供をさせて頂いたのが、信心の始まりだとこう言う訳。始まりと言うわけじゃないけれども、まぁ本格的に、信心をさせて頂こうと、まぁ意欲した時分が、それだと。ちょうど、本年が、二十年に、相成りますとこう言う。私は、それを聞かせて頂いておりましてから。はぁほんなごて、もう二十年にもなるのうと。あん時に、善導寺の教会、青年会の方達、みんな一緒でございましたが、一緒に写真を、記念写真を御本部で撮らせていただいた。そのなかに、私も入らせて頂いておりますが。もう、それこそ、突けば倒れるような姿で写っております。もう、一番、私の難儀の頂上であった。もうその、一年後には、ぼちぼち、私の話を聞いて、人が助かるようになっておるという時分です。修行と言うたら、まぁ本当に、あの時分の修行の事を思うただけでも、まぁよう、あんな信心させてもろうたと、自分で思います。ね。いわば、食べるのに食がない。着るも要らないといったような中にです。二十年たちました今日、私が、このようにおかげを受けておると。ね。
立教百年、そして立教百十年を経て、いわば、二十年間。二十年間の間に、これこれのおかげを頂きました。今度は、ここで、私は、立教百十年の記念祭と言うのであるから、せめて、列車一台ぐらいは、ご無礼、一列車、ね。あれが、六百あれば、一列車出来るんだそうです。一列車ぐらいは、おかげを頂かなければ、本当に、これだけお陰を受けておって、相すまん。そんな、私は、思いをしておりましたけれども、私の不徳の致すところですけれど。今年はね、聞こえませんか、そっちは、聞こえませんか、あっちのほう。お腹が吸いてから、何か、大きな声が出らん。後ろは聞こえないですか。聞こえない。まぁどうぞ、静かに、静かに頂いてください。ね。百十年の、立教百年の時に、ここから、二百五十名、おかげを頂いております。あんまり変わらんくらい。はぁ十年もたっておるのに、その様な事では相すまん。そんな筈じゃないんだが、椛目の時代に、やっぱり、あそこ一杯の、御大祭の時には一杯だった。ここの広いところへ、こうして頂いたら、やっぱ、ここ一杯のご信者さんが集まってくる。だから、そんな筈であっちゃならんのに、お参りが少ない。私は、神様に、その事をお詫びさせて頂いておりました。ね。九十年、それから、立教百年、九十年の時には、それこそ、着るに着物がない、食べるに食がないといった様な時代であった。十年たった時には、もう、段々、人が助かって、ね。教師の資格も持たんのに、人が、先生、先生と言うて下さるような時代である。ね。それからまた、十年、ね。本当に、教祖様じゃないけれども、人が助かりさえすればと言う様な気持ちで、御用をさせて頂いておるのに、どうした事であろうか。奥城に出た時に、これは教祖様に申し訳がない。私は、そう思いました。ね。そう致しましたら、百十年から、百二十年の、お、百年から、百十年の間の十年間に、ね。これこれのおかげを頂きましたと言うのが、今度の御本部参拝の眼目なんだ。ただ、百年を繰り返した、百十年を繰り返したというだけじゃいかんのだ。十年たちましたら、この様におかげを受けました。この様に、人間も出来ましたと。身代も出来ましたと、私は、御礼を申し上げれるのが、教祖様のお喜びであり、天地の親神様のお喜びであると、私は思うのです。ね。ところが、百年の時と、記念祭百年の時と変わらない。はぁ相すまん。そう思わせて頂いておりましたら、神様からね、ここの御造営が始まった時代から、こうしておかげを頂いた時分の事を、ずーっとこう、走馬灯の様にです。次から次と、その情景を頂くのです。今度の、第一の御礼は、これぞと言わんばかりに、下さるのです。なるほど、参拝は少なかった。けれども、それこそ、まぁ、私に言われを言うならば、ね。私ぐらいな者の信心の所で、この様な、例えば、お広前が、その間に御造営が出来たという事。これも、お礼として、この、おかげを引っさげての、今度の御本部参拝でなからにゃならんという事を頂いて。はぁ有難いと、私は思うた。人数は少ないけれども、本当に考えてみれば、本当に夢にも思わなかった。
私は、何時か申しました。本当に、ここに、ね。合楽の、ここの水の田んぼでした。そこにです。本当に、忽然として、このお広前が建立された。ね。そういうおかげを頂いておるということを、神様への御礼の、第一としたら有難いことである。という様にね、頂きましてから。有難い。ね。そこで、皆さんとはです、記念、記念、記念の年柄であると言うてもです、ね。その十年間の間に、これこれのおかげを頂きましたと言うおかげがです。ただ、自分が、一生懸命、精進した、努力したという事がです、ね。ただ、自分の都合、ね。朝参りも、しっかりさせて頂いたけれども、私がおかげを頂かなければならないために、一生懸命の信心が出来た、修行が出来た。それではね、それではおかげにならん。
只今、親先生が、お話くださいました。これから先、どの様な事が起こっても、驚いてはならんぞと仰った、信心する者は。と、例えば言われても、本当に、どんな時でも驚かんで済むような、顔色一つ、変わらんで済むような、おかげを頂きたいのは、山々なんだけれど。さぁ実際、大きなことが起こってくると、顔色なしであり、うろたえておるというのが実情だ。ね。十年も十五年も信心させて頂きながら、どうした事であろうかと。ね。どういう様な信心をさせて頂いたら、ね。驚かんで済む信心が頂けるであろうか。
今朝から、朝の御祈念の御理解に、やれ痛や、今みかげをよという心になれよと言う御神訓についての御教えでございました。ね。また、その次に、並んでございます。ね。神の教えも、真の道も、知らぬ人の哀れさと、神様のお嘆きのお言葉であり、御教えなのであります。ね。神の教えも知らず、真の道も知らず、そういう人がです。もう、神様の目からご覧になると、哀れで、哀れでたまらん。ね。そこに、生神金光大神ご出現の理由があったわけなんです。ね。その様な難儀な氏子を、取り次ぎ助けてくださることの為に、いわゆる、立教神伝が下った。ね。
どの様な事が起こってきても、驚かんで済むだけの信心。やれ痛や、今みかげをよと、ね。所がさぁ、なかなかいたい思い、これは痛いというだけの事じゃなかろうと。苦しいということだと思う。ね。やれ苦しい、ね。それを、みかげとは、霊験と書いてある。それを、これを霊験とは思われない。苦しいことは苦しい。ね。ところがね、先ほどから、福岡の三代の吉木先生の御事やら、それから、久留米の初代の事やらが、私、途中、着替えておりましたから、初めから、承ることが出来なかったんですけれども。先生方のお話が、なさってあったようでございました。ね。吉木先生にしろ、石橋先生にしろ、それこそ、大変なお徳を受けられた先生方である。先生方のご信心と言うものをです。私共は、実際、目の当たりに見てきておる、ね。小さい時から。ね。先生方のご信心と言うのは、どういう事かと言うとです。いわゆる、教祖の神様のご精神なんである。人が助かることさえ出来りゃ、もう、どげな修行でも、私は厭わんと言うのである。人が助かることさえ出来ればと言うのである。ね。私が、助かりさえすりゃ良いと言うのと、だためが違うでしょう。私が、おかげを頂かねばならんと言うのと、だためが違う。言うならば、私本意の信心から、ね。神様本意の信心に変わらせて頂くという事。初めから、なかなか出来ません。けれども、信心が分かれば分かるほど。神様の御心が分かれば分かるほど、ね。神様の御心に添わせて頂かなければおられない、そのやむに病まれない心が、どういう事になって来るかというとです。私というものではない、神様のお喜び頂けれる信心。何時も神様を中心に申し上げた信心。私が、こう言うておるは、こうしておるは、神様は、これを、どうご覧になっておるだろうか、どう聞いておいでであろうかという様にです。ね。私を、いわば、空しゅうして、神様本意の信心。
私が、椛目時代の、まだ、早々の頃でした。ある難儀な問題にぶつかった時に、毎月、月参りをさせて貰います。三代金光様に、その事をお届けせて頂きましたら、三代金光様が、私は本当に、もう本当に、全身を耳にして頂きました。あんな長い御理解を覚えとかんならん。大体、頭が悪いとですからね。氏子が神様任せなら、神様が、氏子任せになると仰せられますからと仰いました。神様が氏子任せなら、いや、氏子が神様任せなら、神様が、氏子任せになると、今仰っておられるすという事なんです。あなた、あなたの思い通りにしようと思いなさいますな。神様任せでお出でなさい。ね。そういう、任せる心が出来たなら、神様が、必ず、あなた任せになって下さるだろうという、私は、御教えであったと思うのでございます。ね。神様任せという事は、どういう事か。それは、そのまま、ね。神様をご中心に申し上げた信心だと思います。ここでは、皆さんが、親先生任せという事を、盛んに言われます。親先生任せになっときゃ、おかげ頂くがのち。親先生は、どげん言いなさったですかち。親先生が、言いなさる通りしときゃ良かがち。と言うような訳です。ね。
私は思います。今朝の御理解を頂いて、御教えを頂いて、本当に、やれ痛やと言う時に、有難いと言えれる、思えれる。ね。神様に御礼が言えれる。そういう信心を、身に着けていかなければならない。どの様な事が起こってきても、驚かんで済む信心。
若先生が、まぁだ、腕白盛りでした。私は朝の御祈念を終わって、御結界を奉仕させて頂いておりました。今日は、その方達もお参りになっておられると思いますが、ね。なんか、あの時分に、その、竹を削ってから、ポーンと、こうやって、するとのその、そげな遊びが流行っておった。それがね、勢いよく、その、若先生が、この目に突き刺さった訳です。椛目の直ぐ裏に、篠原さんと言う方がおられました。ほれでもう、篠原さんもびっくりしてから、ご主人を呼びにいかれてから、ところが、あなた、目のなかに突きささっとるもんですからね、それで、その、篠原さんのご主人が、それをこう、引き抜きなさった。それであーた、目ん玉が飛び出てしもうて、目ん玉が、外へ出てしもうた。竹と一緒に、ほらもう、知って泣いておるのを、その、家内が、言いに来たたところへ、家内が行きまして、ひっ抱えて来ました。ね。先生、お願いしますち言うてから、ここへやってきました。ところがもう、私の心のなかに、本当にもう、微動だも致しませんでした、私は。ようし、痛まん様にお願いするぞ。私は、これだけでした。ね。ね。痛まんようにお願いするぞ、ね。その時に、一緒に、休んでおった、腕白さん達のお母さん達が心配して、早う、医者へ連れて行って下さいと言うて見えましたけども、おばしゃま達は、心配しなさらんでもよございますが、神様へお願いしましたから、大丈夫ですよち、ね。二階に連れて上がりましたら、ぴたっと、泣き声が止まっておりました。痛いのが無くなって、止まったんです。そして、そのまま、すやすや、眠ってしまいました。眠っておる間に、出ておった目ん玉が、ちゃんと引っ込んだんです。それはまぁ、、あくる日までは、それこそ、血を揉み込むような目をしておりました。ね。自分で、今どうか分からない。けれども、そん時は、そうであった。ね。
これにも良く似たお話。この十八日の月次祭でした、昨日一昨日、さぁ月次祭だから、早うお参りしようと言うて、先ほどここに、親先生の所に、お水を持って見えられた方です。ここの総代、久富と言われます。さぁ早うお参りせにゃと言うて、用意しておった。女達は、勝手の御用を済んで、どっか、裏のほうへ行っておった。今日が、二十日の大祭だから、十八日から、北九州のほうへ行っておる娘を連れて帰った。そして、大祭まで、逗留させるというところで、その娘と、孫と、まぁだ、誕生をようやく、もう、走って歩きますから、やんがて、二年ぐらいになりますかね。、芳太郎君と言いいます。と、その、しております。今日も、ここに参ってきております。ね。ところがその、夕方の用意をしてから、鍋をね、こうやって、その下ろした。芳太郎君は、ここで遊びよった。ところが、短いズボンがですね。鍋の中に杓子の入っとる。その杓子にズボンが、こう入ったんです。それで、こうやって動いたもんだけん、あーた、ほんな腰から、こう尻にかけてから、その、今出来たばっかりのおつゆがかかったから、もうたまらんです。ね。まぁ、その時にです。久富さんが、どういうような態度をとられたであろうかと。皆さんもご承知のように、もう、実に大人しい方です。ね。それこそ、まんまんしゃまのごたるち、私が言います。ね。けれどもね、そういう方がです。そういう、例えば、孫の、そういう時にです。ね。慌てんで済まわれたという事。ね。はぁもう、女達は出てきてから、さぁ早うお医者に連れていかにゃち言うてから、言うてるです。まぁ待て待て、ご神前から、御神酒と御神米と持ってきて、ご神水をですね。尻から一杯に、ぱーっと吹きかけた。もうそれこそ、染むもんですから、ひしる様に泣いた。ね。そして、御神米を、三体当てなければならんほどひどかった、ご神酒を三体お祭りされた。そして、その上から、また、ご神酒をお祭りして、包帯をされた。さぁ医者に連れていかにゃと言うておるけれども、まぁまぁ、待たんの待たんの、これが、お母さんに聞いてみようと。いわゆる、その芳太郎君のお母さん。ね。敏子さんち言います。敏子さん、どげんするかと、医者に行くか。もうところが、このままお月次祭にお参りするかと。ね。そしたら、敏子さんが言う事がです。お月次祭にお参りしようち言うたち言う。もう、ほんなこてですね、お参りしようち言うた途端に泣き止んだち。ね。私は、その事を、いち早く、叔父さんである、久富勇さんが、ここへ来てから、今日は、大変な事が起こって、芳太郎が、こうこうでございますと言うてお届けがあったんです。ほうら、大変なこつであったばってん、そら、おかげ頂くばいち、私が申しました。なしですかち。私が、火傷で修行しておるけんで、ここで私と同じ修行するもんな、みんなおかげ頂きよる。こらまぁ、あんまりその、いけない事ですけれどもね。皆さんが、まぁ間違うて火傷した時には、これはおかげ頂くと思うていいです。私が、火傷で修行させて頂いておるから、こらみんな、火傷の後です、私の。足にも火傷がある。三回火傷しておるです、私は。ね。そら、おかげ頂くばいち、ね。御大祭にお参りするために、わざわざ、北九州から、やって来ておる。本当、お参りどもしとらんなら、どげな事じゃ分からんと言いよるうちに、二三十分しましたら、吉冨さんが、参って見えられました。御月次祭、そして、終わった後に、お説教させて頂きよりましたら、その、芳太郎君が、ほうもう、あっちこっち、きょろきょろしながら歩きよりますもん。ほう、こら、たまがったと思いましてね。こらねぇ、本当に、神様の働き、おかげと言うものは、これは何時もの事、私は、体験もさせていただき、目の前で見てもおりますけれどもね。やっぱり、度々、驚きますよ。度々、御神徳の素晴らしさに、驚きますよ。
こら、他ごとですけども、昨日ですね、ちょうど、御結界に着いておりましたら、久富先生が見えてから、先生、ちょいと、十三万二百円、十三万二百円、ちょいと出して頂かんならん事が起こりましたとこう言う。そらあんた、目ん玉ば、結いつくるごと、昨日銀行が来とったばってん、どうしてそげんある、ある筈はなかじゃんのと。まぁちょっと待たんの待たんの、ほんなら、調べて見ろち言うちから、調べたら、十三万五百円ありました。そげん、間違いがないです、この神様は。ね。ちょうど大和さんが、そばを通りよったから、ちょいと大和さん、来てご覧、こげん面白かこつのあるばい、ね。度々のことながら、恐れ入ってしまうて、神様の働きには。ね。十三万二百円、どうでも今要るち、久富先生が言いござりゃ、十三万五百円あるち。三百円余る。ね。ここの御普請のときなんか、それが、ずーっと、そう連続でした。ね。ですから、これは経済だけのことではない、人間関係だけのことではない、病気やら怪我だけの事ではない。神様のお働きを持ってするならばです。ここに、今痛みよるとが、今、痛みが止まるという様な事は、もう当たり前と。痛い、痒いは、神様の自由自在なんだ。ね。若先生が、目がこう、ひっくり返った時だって。ほんなら、いわゆる、その久富さんのそれだってです。ね。そこで、私は思うです。ね。久富さんが、例えば、なるほど、総代にまで、お引き立てを頂かれて、十何年の信心を頂いておられますが、どこから、そういう度胸が生まれてくるであろうかという事なんです。いや、生まれてくると言うよりも、どこから、そういう度胸が与えられるであろうかという事なんです。ね。やれ痛や、今みかげをよという心になりたい。信心しよって、本当に、どういう事が起こっても、驚かんで済むおかげを頂きたい。ね。驚かんで済むおかげを頂きたいけれども、慌てふためいておるじゃないか。はぁ今こそ、やれ痛や、今みかげをと言わにゃん時でもです。信心しよるとに、どうして、こげな目にあうじゃろうかと、言いよるじゃないか。ね。なぜ、それが、そういう事なのかと言うとです、ね。私が、例えば、ほんなら、人が助かりさえすればという精神なんです。久富さんが、言うならばです。何時も、久富繁雄が中心ではなくて、親先生中心の信心をしておられるからだという事なんです。ね。こら、久富さんのことだけでも、おかげ話をするなら、まぁだ、どがしこあるじゃら分からん。不思議でたまらんごたるおかげがある。ね。そういうおかげの体験が、積み重ねられておるからでもありますけれどもです。ね。言うならば、親先生を中心なのである、何時も。ね。親先生を中心であるという事は、どういう事か。ね。私は、神様を中心である、金光大神を中心であるという事だと、私は思うのです。親先生は、金光大神に繋がってござる。しかも、金光大神が、天地金の神様と同根と言うまでに繋がってござるのですから、ね。おかげが受けられる事が分かるです。
お互いに、ね。本当に、やれ痛や、今みかげをよという様な心になりたい。どの様な事が起こっても、驚かんで済むようなおかげを頂きたい。けれども、それを頂きたいと言うておっただけではです。何十年信心してもです、どんなに朝参りをさせて頂いてもです、ね。信心が分からせて頂けることの有難さとか、喜びが、ね。朝参りをさせて頂いておるというものでなからなければです。おかげば受けるけん、おかげば受けねばならないから、お参りをさせて頂いておる信心が、五十年続いたって駄目です。こらもう、私が、一番分かる。五十年も信心したっちゃ、そげなこつは分かってなかったんです。ね。ひとたび、私の、心の目が開けてからです。今までの信心が間違いであったと。ご利益だけじゃいかんと。そこから、私がですね、食べる事もするまい、着る事もするまい、ね。家はもうこのままで良い。私の、その家と言うのは、これはもう本当に、それこそ、その時代の事を知っておるのは、秋永先生ぐらいのことでございましょう。ね。もう、これ以上の家は、わたしは望まんと、本当思うとったつです。これ以上のものをね、着ろうと思わなかったんです、その当時。私は、夏も冬も、夏服一枚で過ごしました。ね。
昨日ね、ある方が、大変、おかげを受けて、日田のほうからお参りになりました。先生、普段着にしてくださいち言うてから、反物のお供えを頂いた。ほうこら、ちょいと、絣のごたるとば、普段そげん着らん、こらもう、黒装束ばっかりじゃけんち言うて。そう思うたけども、折角、頂いたから、側戸の所へ、ぽんと私が置いておった。それを、あの文男先生と、秋永先生が見てから、こうりゃあんた、大したもんですばいち。ね。高う売るなら二十五万円ぎな。どげん安う売ったっちゃ、二十万円がたある代物ですよち。ね。例えば、そういう様なものがです、身に付けさせて頂けるほどしのおかげがね、あの、どこから、生まれてくるかという事なんです。ね。私が、良か着物ば着ろうごたる、良か家に住もうごたる。良いものを食べたいと言うておったら、神様は許されません。地団太踏むごと言うて言うけん、まぁたまには、おかげ下さるかも知れんけれど。そういう様な事は、もう、これ以上の家に住もうとは思いません。これ以上のものを食べようとは思いません。これ以上のものを着ろうとは思いませんと言う所からです、ね。いわゆる、神様任せの信心生活から、それこそ、どうでもこうでも、この家に住んでくれ。どうでもこうでも、この着物を着てくれという事になって来るのですよ。ね。ですから、そういう、私はね、おかげの頂けるきっかけと言うものは、私本意の信心から、ね。いわゆる、神様本位の信心にならせて頂けるということ。ね。
教祖の神様のご信心が、今ほど、問われておる時はありません。いわゆる、教祖に帰れと言うのです。ね。言うならば、教祖のあられ方を、私共の生き方に頂けという事なんです。ね。そこで、教祖の神様と言う方は、どのようなお方であったか。これはもう、とてもとても、私共が、その想像にも及ばなかった方であったことだけは間違いない。ね。例えば、素直でおありになったという事だって、ね。実意丁寧でおありになったという事だって、ね。辛抱強いという、いわば、身体惜しみをなさらないという事だって、とてもとても、私共が、真似の出来ることじゃないのだけれど、真似が出来んからと言うて、いけんのです。どんなに素晴らしい教えを、百巻頂いたってですよ、身に着けたってです。教祖の神様の、そういう生きられ方、そういうご性格をです、真似でもさせて頂こうと言う信心なんです。ね。本気で実意にならせて頂こう。本気で、ね。いわゆる、わがままやら、横着を改めさせて頂こう。ね。真心とは、身体惜しみをせぬ事ですと極言しておられます、三代金光様は。ね。ですから、真心真心と言うても、身体惜しみしよってから、真心が出るはずはないじゃないか。ところが、私共は、身体惜しみをせにゃおられんのだ。だけれどもです、そこん所を、はぁこういう事では、教祖のご信心にもとると分からせて貰うてです。ね。きつかろうけれども、そこん所を、身体惜しみをせん信心をさせて頂いてです。おかげを頂かせて貰いよると、不思議なんです。ね。
例えて言うとですよ、ね。手紙が参りましょう。ね。そすと、直ぐ返事を出さにゃならんとばってん、よかよか、明日書こう。もう明後日書こうち。こういう不実意な事で、おかげの頂ける筈はないて。これが今、手紙の返事を書かなければならないものならばです。もう即刻、書かせていただくが良い。これは、私が、そうですけれどもね、それをさせて頂いた、後の気持ちの良さと言うのは、また格別です。身体惜しみをする、無精者である私がです。ね。ところが、例えば、、泣く泣くでも辛抱して、そこん所を、辛抱させて頂きよったら、ははぁ、辛抱の後の有難さと言うものは、また格別である。いわゆる、実意丁寧神信心をさせて頂くという事が、有難いことが分かる。そういう、私は、教祖の、一番、根本的なところをですね。私共の頂こうとする、信心意欲をもってですね。そして、教えである。お参りである。修行である。ね。そこを抜きにしては、私は、如何に教祖に帰れといったって、帰られない。ね。教祖の生き方、生きられ方と言うものをです。枝葉の所だけを頂いたって駄目だ。先ず、私共が、そういうおかげを頂かせて貰うことにです、焦点を置かなければいけないという事を、一つ、心に銘記して頂きたい。ね。
百十年というお年柄を、まぁ、この様な形で、神様に御礼を申し上げることが出来たわけでございます。これからまた、いうなら、百二十年の式年祭がございます時には、本当に、合楽から、一列車ぐらいは、もう本当に、おかげ頂かなければ相すまん程に、合楽の人達は、おかげを受けている。ね。こげなこっじゃすまん。ね。ですから、その信心の、根本的なところがです、ね。ただ、私本意の信心ではいけない。やはり、神様本意の信心をさせて頂いて、まぁ言うなれば、親先生任せの信心をさせて頂いて、ね。そこから、頂けるところのおかげ、ね。そういうおかげを頂かせて頂いて、初めてです、ね。形の上にも、なるほど、金光様の信心しござるけん、あの様なおかげを受けなさったという事になり、内容も、そういう事にならせて頂くところに、いわゆる、我と、わが心が拝めれる様になり。なるほど、ここにです、初めて、どの様な事が起こってきても、驚かんで済むだけのものが与えられる。ね。やれ痛や、と言うような場合でもです。今みかげを、おかげを頂いておるんだと、ね。神様の愛の働きと言うか、神愛でしかないのだと分からせて頂くのも、その様な、神様本意の信心からしか生まれてはこないという事を、私は、断言して申し上げることが出来ます。ね。何十年、信心しとりましても、ね。どこまでも、私本意の信心であっては、それは、どげな御用が出来たっちゃ、おかげは頂かん。御用を頂きそこなう、そげなこつしよっちゃ、ね。根本的なところから、おかげを受けての御用でなからなきゃならんという事ですね。いわゆる、有り難うして、有り難うして、勿体のうして、勿体のうして。
今朝も、私、ここに、四時に出てまいりますから、御祈念をさせて頂きながら、昨夜が前夜祭でした。前夜祭から、今日引き続いて、本当に、あれこれと思うて見ると、それこそ、神様の働きを言わなければおられない。この合楽の教会の教祖百十年祭、教祖大祭に、神様が、どのくらいに、一生懸命働いておって下さるかと言う事をです。もう、様々な場合に、感じん訳には参りません。だから、あれもおかげ、これもおかげと思うて、お礼を申させて頂いておったら、もう本当に、一時間ぐらいの時間な、もう有難い御礼ばっかりでしまえる。しかも、形に、こげなおかげを受けてと言うのではなくて、はぁあれは、あげなこつしてからと思いよった事までが、おかげであると気付かせて頂いて、いわゆる、有難い、有難いの、いわば、何時もそういうね、ものを今日、私は頂いている。ね。どうぞ一つ、信心は、まぁ言うなれば、有難くならせて頂く稽古。そんなら、有難くならせて頂こうと言うて、有難くなれるものではない。そういう内容にあるところの、信心の修行が出来て、ね。いわゆる、神様が、お喜び頂けれる、神様を中心にした信心をさせて頂くから。神の喜びが、喜ぼうと思わんでも、こちらに、その喜びが伝わってくるのであり、頂けるんだという事を、一つ、分からなければいけんと思うのでございます。大変遅くなりましたが、どうも有り難うございました。